『崖の上のポニョ』の主題歌が話題だけれど、大橋のぞみちゃんのバック・バンド(?)「藤岡藤巻」さんたちは、昔「まりちゃんズ」というグループ名で放送禁止歌を連発していた素敵なおじさんたちである(我が家にあった昭和49年(1974)の「guts」8月号で確認した──古い!)。 まりちゃんズに関しては、個人的に『尾崎んちの祖母(ババア)』という歌がとても好きだ。この歌も一度聴くと、そのフレーズが耳に残ってしまってとても困る(賞めている)。バックギターは、あのCharだし。 その「藤岡藤巻」さんたちがブレイク前、ライヴを開いていた(さすがにもう最近は無理のようだけれど)お店に、先日用事があって行ってきた。するとやはり店内には『崖の上のポニョ』の大きなポスターが貼られていたが、二人の顔はマジックで思い切り落書きされていて笑えた。あれも店長さんたちのひとつの愛情でしょう(か?)。
無事に『全国「別所」地名事典』も読み終わり、仕事をじわじわと進めている。 まるで、敵侵攻に抗っての匍匐前進のようなもので、気を抜くと、一気に(I川《鬼平》&マダムJJ軍団に)攻め込まれてしまうやも知れぬという緊張の日々の連続だ。しかし、ルビコン川は渡らねばならぬのである。
そんな緊張を緩和するべく(またか!)劇団四季の招待公演へ。 今回も「昭和三部作」の一つの、『南十字星』である。前回の『異国の丘』の舞台はシベリアだったけれど、今回はインドネシアだ。 インドネシアで敗戦を迎え、BC級戦犯として裁かれた人々──「裁判」とはいえないほど酷い戦争裁判によって有罪判決を受け、しかし神色自若として絞首刑台に赴いた兵士たちの話である。まさにこれも「鎮魂のミュージカル」に他ならない。 そして毎回感じてしまうのは、自分がああいった立場に追い込まれた時に彼らのように振る舞えるか、あるいは、彼らをしてあれほど立派に振る舞わせしめたものは一体何か? ということだ。それは思想なのか、教育なのか、愛情なのか、矜恃なのか……。とても深い。 先日の沢さんからも戦争のお話が出たし、私たち夫婦の仲人さんは実際に特攻隊員だった。仲人さんはもう亡くなられてしまったけれど、お二人とも非常にニュートラルな立場からの意見を持っておられて、大いに勉強になった。 歴史はすぐに風化、あるいは美化、あるいは改竄されてしまう。だから我々は、きちんとありのままの「事実」を知っておく必要があるのだと痛感した(しかしその「事実」の入手が難しい)。
さてさて、そろそろ出雲行きの予定も組まなくてはならない。 そこでI川《鬼平》さんや、現地の旅行会社の方と連絡を取り、細かい日程を打ち合わせている。だがこれまた強烈な日程になりそう。 「もしもこのフェリーを逃したら、その日はどこに泊まろう?」 という熾烈なスケジュールだ。これまたドキドキものである。これを利用して時刻表トリック物でも書いてみようかなどと、インターネット&本の時刻表を交互に眺めながら思ってしまった。 そういうわけで来週、I川《鬼平》さんに会わなくてはならないと覚悟を決めていたら、余りにも忙しすぎて全く時間がないという。そこで「無理をなさらずに」と優しく身を引こうとすると、 「それならば明後日の夜に、そちらまで伺います。きっと、原稿もかなりできあがっているでしょうから、よろしければその部分まで目を通させてもらいに」 などというとんでもないことを言い出した(原稿がきちんと順調に進んでいるなどと私が言ってしまったためである)。 しかもその翌日は、甥っ子を連れてこっそりと劇団四季の『むかしむかしゾウがきた』を見に行く予定になっているではないか! まずい……と、しばし悩んだが、結局お会いすることに。 自由が丘でお会いして、次回作の簡単なあらすじや、それ以降のスケジュール、そして出雲取材旅行の打ち合わせなど。外堀を完全に埋められてしまった大坂冬の陣後の徳川秀頼のような心境だ。 あとは、あるイベントの相談などをしたのだが、話が盛り上がってしまい、久しぶりに少々飲み過ぎた。やはり近場で飲んでいると、安心してついつい飲み過ぎてしまう。危険だ。おかげで、当日の打ち合わせは半分くらい覚えていない(嘘ですってば)。 ということで、そろそろこの「Essay」も「対編集者バトル日記」という題名に変更しなくてはならないかも知れない。
| | 2008年07月22日(火)06:13 |
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